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広島高等裁判所 昭和56年(う)77号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は弁護人鈴木惣三郎、打田等、林良邦連名作成の控訴趣意書及び弁護人海老根保久作成の控訴趣意補充書(一)ないし(五)記載のとおりであり、これに対する答弁は検察官椎名啓一作成の答弁書記載のとおりであるから、ここにこれらを引用する。

これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

所論は、要するに、「原判決は、被告人が広島市土地開発公社理事の職務に関し、瀧口博隆から請託を受けて、その報酬の趣旨をも含めて供与されるものであることの情を知りながら現金一五〇万円(原判示第一の事実)及び現金五〇万円(原判示第二の事実)の交付を受けたとの事実を認定した。しかし、右の事実認定には後述するような事実誤認があり、これが判決に影響を及ぼすことが明らかであるから破棄を免れない。」というのである。

しかし、原判決挙示の証拠によれば原判示の各事実を優に肯認することができる。原判決の事実認定は、その「判示事実認定の補足説明」の項における説示部分を含めてこれを是認することができ、当審における事実取調べの結果を加えて検討してみてもこれを左右するに足りないが、所論にかんがみ若干補足して説明する。

第一原判示第一の事実についての事実誤認の主張について

一  広島市土地開発公社理事の職務権限について

所論は、「原判決は、被告人が大和機工株式会社代表取締役瀧口博隆から同社所有の広島市牛田早稲田二丁目所在の宅地造成地の買収に関し、(イ)右土地の先行取得に関する事業計画案が早期に同公社理事会に上程されるよう尽力してもらいたい趣旨、(ロ)右事業計画案が同公社理事会に上程されたときは、その審議承認に尽力してもらいたい趣旨の請託を受けた旨の事実を認定している。右の請託の趣旨のうち(ロ)については同公社理事の職務権限に属しているが、事業計画案の同公社理事会への上程は理事長の権限に専属しているから、(イ)の点は同公社理事の職務権限に属しない。」という。

そこで検討すると、《証拠省略》によれば、次の事実が認められる。

(1)  同公社定款七条一、二項は、「理事長は、公社を代表し、公社の業務を総理する。理事は、規定の定めるところにより、公社の業務を掌理する。」と定めているが、同公社には定款のほかに理事の掌理すべき業務を定めた規定は存しないこと、

(2)  右定款一四条は「理事会は、理事長が必要と認めるとき、又は理事若しくは監事から会議の目的事項を記載した書面を附して請求があったときは、理事長が招集しなければならない。」と定めていること、

(3)  右定款一七条は、「次に掲げる事項は、理事会の議決を経なければならない。」とし右の理事会の議決を経なければならない事項の中に「(2)毎事業年度の予算、事業計画及び資金計画」と定めているが、右の議案の提出権について定めた規定は存しないこと、

以上の事実が認められる。右にみたような同公社の定款などの規定からすると、明文の規定は存しないとはいえ事柄の性質上毎事業年度の事業計画案の同公社理事会の提出権は理事長のみが持っており、理事は右の権限を有しないものと解すべきことは所論のとおりであると考えられる。しかし、理事は会議の目的事項を記載した書面を附して理事会の招集を求めることができ、右の請求があったときには、理事長は理事会を招集しなければならないのであって、事業計画案の理事会への早期上程を求めることも右の会議の目的事項に含まれると解されるから、理事は右の計画案の早期上程を求める権限を有しており、前記の(イ)の請託の趣旨も、被告人の職務権限内の事項についての請託であるというべきである。右の所論は採ることを得ない。

二  現金一五〇万円授受の趣旨などについて

(一)  所論は、「被告人が瀧口から交付を受けた一五〇万円は専ら被告人が広島市議会議長選挙に出馬するための工作資金に充てるための政治献金の趣旨で贈られたもので賄賂性はない。仮に、瀧口が経営する大和機工の事業と関連する趣旨も含めて右の現金が贈られたものであるとしても、それは、『あちこちの造成地の問題でいろいろお世話にもなりましたし、今後もお世話になると思います。』程度の趣旨で贈られたものであって、原判示のような特定の請託のもとに贈られたものではない。」という。

そこで検討すると、《証拠省略》によれば、同公社による霞町国家公務員宿舎の代替地にあてるための大和機工所有の宅地造成地の先行取得及び前記の現金一五〇万円授受の経過は原判決の認定判示するとおりであって、要約すると次の事実が認められる。

(1) 広島市は、昭和四六年ころから段原再開発都市計画事業用地にあてるために霞町国家公務員宿舎敷地を国から譲り受けるとともに、その代替地として大和機工所有の宅地造成地を買収して国に提供することを考えていたが、諸般の事情により買収が延び延びになっていたこと、

(2) 大和機工の社長瀧口は、昭和四八年一二月ころ平田正義(当時広島市財政局管財部用地第一課主幹兼広島市土地開発公社参与)から市長部局内で前記宅地造成地を同公社において買い上げる方針が固まった旨知らされ、同公社との右売買契約が同四九年三月末までに締結されれば、同社の資金の回転のためや税務対策上都合がよいと考え、同年一月上旬新年の挨拶に被告人宅に行った折に、同公社理事である被告人に対し、原判示のように、「何分にも今年はうちの牛田の土地のことで公社にいろいろお世話になる計画がありますが、ひとつ契約を早う済ませてもらうよう、よろしくお願いします。」と頼んだところ、被告人は「わかっとる。できるだけ努力する。」と答えたこと、

(3) 同年一月二〇日ころ広島市都市計画局長から同市財政局長に対し大和機工所有の同市牛田早稲田二丁目所在の宅地造成地の先行取得の依頼があったが、その後間もない時期に、被告人は田中茂(当時、同局管財部用地第一課長兼同公社参与)に対し、原判示のように、「牛田団地の件は今どうなっておるんか。」などと前記造成地の買収の進行状況や買収手続の見通しについて尋ねたうえ、「急いでやってくれ。」と言い、その後も二回位同人に対し右買収手続の進行状況を尋ねたり、その契約を急ぐことを求めたこと、

(4) 同年二月二五日ころ原判示のような経過で広島市長から同公社理事長に対し右宅地造成地の先行取得の依頼があったが、被告人は、同年三月六日大和機工本社を訪れ、瀧口に対し、「このたびちょっと入要ができてまことに無理を言うのじゃが、わしを助けると思うて一五〇万円ほど用立ててくれんか、それというのは、新合併町の色のついてない新議員を子分にして今後の議長選に構えたいと思っている。」と話して資金援助を求め、瀧口は、被告人が市議会議長になれるならそれにこしたことはないと考える一方、前述したような経緯で前記造成地についての議案が近く同公社理事会に上程される情勢にあり、前述したような理由で同公社との間の右造成地の売買契約を同年三月末までに締結したいと考えていたときであったので、直ちに資金援助の申し入れを了承し「先生にはいろいろお世話になっていることですし、ちょっとお待ちください。」と言って、現金一五〇万円を用意したうえ、「まあ、うちの土地も三月末までには契約にこぎつけたいと思っているのでよろしく頼みます。」と言いながら右金員を差し出すと、被告人は「よっしゃ。ついでのときに公社の方に寄って頼んどくわ。」と答えてこれを受け取ったこと、

(5) 同公社理事会は、同年三月二九日開催されたが、その際前記宅地造成地の先行取得案件を含む昭和四九年度広島市土地開発公社事業計画案が上程され、右宅地造成地の用地取得を昭和四八年度(同四九年三月末日まで)に繰り上げて実施することができる旨の付帯議案とともに可決承認されたが、被告人も右理事会に出席して右議案に賛成したこと、そして同公社は即日大和機工との間で前記宅地造成地を代金一三億七、七六六万三、六〇〇円で、買い受ける旨の契約を締結したこと、

以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

以上の事実関係によれば、瀧口は被告人が前記のように市議会議長選挙のための工作資金の援助を求めてきた機会に、被告人に対し原判示のような請託をするとともに、その趣旨を含めて現金一五〇万円を交付し、被告人も右の請託の趣旨を理解して右の現金を受領したものと認められる。右の金員の交付が前述したような政治資金の提供という意味を持っているにしても、そのことは受託収賄の罪の成立を否定する根拠となるものではない。

(二)  これに対し、所論は、「瀧口博隆の前記検察官に対する各供述調書は、同人が長期間にわたり勾留された後に作成されたものであり、また、人間の記憶は数年前のことまで正確に記憶することが困難であることその他の事情を考慮すると、いずれも信用性がないことが明らかである。」という。

そこで検討すると、関係証拠によれば、瀧口の前記各供述調書が作成されるに至った経過は、原判決が認定しているとおりであって、瀧口は昭和五二年四月二八日別件で逮捕され、引き続き勾留された後身柄拘束が続き、二か月半余り経過後に前記の各供述調書が作成されるに至ったのであるが、同人は警察官による原判示の各事実についての取調べが始まった同年六月一〇日ころには、その現金授受の趣旨については、「被告人のことを言えば仕事ができなくなる。少し時間をくれんか。」などといって供述しなかったこと、しかし、冨村検事が同年七月中旬ころから原判示各事実について瀧口の取調べを始めて間もなく同人は冨村検事に対し自供を始め、同月一五日原判示第一の事実についての自供調書が作成され、その後も瀧口は検察官、警察官に対して自供をなし、保釈出所した同年九月五日より後の検察官の取調べに対しても自供を維持し、その旨の供述調書が作成されていることが認められ、右のような自供の経過と原判決が引用する瀧口の同年七月一五日付検察官に対する供述調書に表われている同人の自供に至る心情などにかんがみると、同人は始め被告人に憚って現金授受の趣旨について供述しなかったが、検察官の説得により真実を述べるに至ったものと認められ、瀧口の前記検察官に対する各供述調書の信用性は十分に認められるというべきである。所論指摘の記憶の不正確性の問題も、前にみた諸事情からすれば、右の現金授受の当時、広島市土地開発公社との宅地造成地の売買契約の問題は瀧口にとって重大な関心事であったと認められるから、市政界の有力者として、また、同公社の理事としてこの問題について大きな影響力を持つと考えられる被告人との多額の現金の授受を伴う問答は、かなり正確に瀧口の記憶に残っているものと思料され、右の各調書に表われている同人の記憶は十分信用できるものと考えられる。その他記録を精査しても瀧口の前記各供述調書の信用性を疑うべき事由は見当らない。右の所論は採ることを得ない。

(三)  所論は、また、「田中茂の検察官に対する供述調書は、同人が取調べ中に卒倒し、救急車で病院に運ばれた後、その翌日から取調べが続行されるというような厳しい状況のもとで作成されたものであることその他の事情を考慮すると信用できない」という。

そこで検討すると、田中は原審公判廷において右の所論にそい検察官の面前ではこれに迎合して供述した旨証言しているが、同人が迎合して供述したとする部分は、主として本件と直接関係がない同人が瀧口から被告人を介して現金合計七〇万円を受け取ったとする部分(原判決が証拠として掲げていない部分)であって、被告人からの田中に対する前記宅地造成地の買収に関する働きかけについては、原審公判廷においても、原判決が引用するように、若干曖昧ではあるが被告人から右の働きかけがあったことを認める趣旨の証言をしていることが認められ、田中としては長い間付き合ってきた相手であり、市政界の有力者でもある被告人の面前では同人に不利益なことを供述し難い事情も窺われることなどを考慮すると、田中の検察官に対する供述調書中の被告人の右の働きがけの部分は十分信用できるというべきであるから、右の所論も採ることを得ない。

(四)  更に所論は、「瀧口が右の政治資金の提供をしたのは、被告人を援助しておけば、瀧口が将来県議会議員に立候補する場合に役立つということと牛田団地造成のことで住民などとのトラブルの解決について被告人に世話になったし、今後も世話になると思ったことによるもので、原判示のような趣旨で前記の一五〇万円を交付したものではない。」という。

そこで検討すると、瀧口は原審及び当審公判廷において右の所論にそうような証言をしており、瀧ロが被告人に右の現金を交付した動機の中には所論のような気持ちが全く含まれていなかったと断定することは困難であると思われる。しかし関係証拠を検討してみると、瀧口としては、右の現金交付当時現実の問題となっていなかった県議会議員立候補の点についてはもとより、牛田団地の造成に関する住民等とのトラブルの点についてよりも、その当時前述したような事情によりその契約を急ぐ必要があった同公社による前記宅地造成地の先行取得の問題の方がはるかに大きな関心事であったと認められ、瀧口が右の現金交付の際前記のような発言をしていることもこれを裏付けるものである。以上のような事情を考慮すると、瀧口が被告人に現金を交付した動機の中に所論のような気持ちが含まれていたとしても、原判示のような趣旨を含めて右の現金が交付されたことを否定することはできないというべきである。右の所論も採ることを得ない。

(五)  また、所論は、「同公社が用地の先行取得をすること及びその価格、取引条件などは予め市の機関で具体的に内容が決定され、形式的に同公社の理事会にかけられるに過ぎないから、瀧口が実質的な権限のない同公社理事に先行取得について請託をして贈賄をすることは考えられない。」という。

そこで検討すると、なるほど関係証拠によれば、同公社が用地の先行取得をする場合、右の先行取得をすること及びその価格その他の具体的な条件は予め広島市当局において立案されたうえ同公社理事会の議に付され、従来右の原案が同理事会において否決されたことはないことが認められる。しかし、右の先行取得の点を含めて同公社の事業計画は同公社の理事会で可決されない限り実行できないものであり、同公社の理事であるとともに市政界の有力者でもある被告人が反対した場合、右の先行取得についての議案が、容易に承認されないことが明らかであるから、所論のように瀧口が同公社理事である被告人に先行取得について請託をして贈賄をすることが考えられないとはいえない。

(六)  また、弁護人は、その弁論の中で、「瀧口は右の現金を交付した当時、被告人が同公社の理事であることを知らなかった。」と主張している。

なるほど、瀧口は当審公判廷において右の主張にそう証言をしていることが明らかである。しかし、瀧口は同人の検察官に対する各供述調書の中で右の現金を交付した当時被告人が同公社理事の地位にあることを知っていた旨明確に供述しており、瀧口の原審における証人尋問の際にも、同人がその当時右の事実を知っていたことを前提とする質問がなされたのに対し、同人はこれを否定することなく右の前提のもとに質問に答えていることが認められるから、同人の当審公判廷における前記の証言部分は、にわかに措信し難く、同人は現金交付の当時被告人が同公社理事の地位にあることを知っていたと認められる。右の主張は採ることを得ない。

(七)  その他所論は、「(1)被告人は、瀧口から原爆被爆者保養施設に寄付された陶壁を高名な陶工加藤唐九郎の作品であると思い、その謝礼として高価な掛軸を瀧口に贈ったが、その後右の陶壁の作者は唐九郎の息子重高であることを知り、瀧口に過大な贈物をしたと考えていたこともあって前記の現金を受け取った。(2)被告人は瀧口から交付された一五〇万円のうち五〇万円は市議会出入りの新聞関係者に対する対策費にあて、また、一〇〇万円は牛田小学校創立百周年記念事業に寄付しており、いずれも政治的な使途にあてている。」という。

そこで検討すると、(1)の点については、関係証拠によれば、原判決が詳細に判示しているように、被告人は陶壁の作者は唐九郎ではなく重高であることを十分承知のうえで瀧口に掛軸を贈ったことが認められるから、所論はその前提を欠くものである。のみならず、所論によっても、被告人は内心で瀧口に対して過大な贈物をしているから政治資金を受け取っても構わないと思っていたというに過ぎず、右の気持ちを瀧口に告げたというわけではないのであって、被告人が瀧口において原判示のような趣旨で現金を交付することを知りながら請託を受けてこれを受領した以上、たとえ被告人に所論のような気持ちがあったとしても、受託収賄罪の成立を左右することはできない。また、(2)の点についても、関係証拠によれば、原判決が詳細に判示しているように、被告人が所論のように前記の一五〇万円のうちの五〇万円を新聞関係者の対策費として使用したとの事実は認められないが、一〇〇万円を牛田小学校創立百周年記念事業に寄付したことが認められる。しかし、前述したように被告人が瀧口において原判示のような趣旨で現金を交付することを知りながら請託を受けてこれを受領した事実が認められる以上、受託収賄罪が成立し、交付を受けた現金がその後どのような使途に費消されたかは右の犯罪の成否を左右するものではない。右の所論はいずれも採ることを得ない。

(八)  叙上説示したとおりであるから、原判示第一の現金一五〇万円授受についての請託及び供与の趣旨は原判決が判示するとおりであって、これを争う所論は採ることを得ない。

第二原判示第二の事実についての事実誤認の主張について

一  現金五〇万円授受の事実について

(一)  所論は、「被告人は、原判決が認定しているように昭和五〇年四月二四日瀧口から現金五〇万円の交付を受けたことは全くない。」というのである。

そこで検討すると、《証拠省略》によれば、被告人は昭和五〇年四月二四日の午前中大和機工本社を訪れ、同社々長室において瀧口に対し、原判示のような前置きの発言をしたうえ、上衣のポケットから広島グランドホテルの請求書の綴のようなものを出して同人に示し、「実はこのように支払いがたまっとるんだが、私も今ちょっと手許不如意なので五〇万円ほど面倒みてくれんか。」と述べたこと、瀧口は右の申入れを了承し女子事務員をして自社振出しの小切手(額面五〇万円)を広島県信用農業協同組合連合会(以下県信連という)で換金させて用意した現金五〇万円を被告人に手渡したことが認められ(る。)《証拠判断省略》右の事実関係によれば、被告人が右の日時に瀧口から現金五〇万円の交付を受けたことは明らかである。

(二)  これに対して所論は、「右の現金交付についての物的証拠としては、振替伝票、銀行勘定帳、元帳、小切手の記載があるが、振替伝票、銀行勘定帳、元帳では昭和五〇年四月二二日付で五〇万円が支出された旨の記載があるのに対し、同月二四日付で額面五〇万円の小切手が振り出されているなど物的証拠の間に矛盾があり、また、大久保の前記証言や瀧口の前記検察官に対する供述調書は物的証拠があるのなら、そのようなことがあったであろうという趣旨のもので信用性が乏しいことなどを考慮すると、捜査段階以来一貫して右の現金授受の事実を否認している被告人の供述が信用できる。」という。

そこで検討すると、《証拠省略》によれば、(1)大和機工において瀧口社長の指示により仮払金支払い又は仮受金内入れの形式で同人に現金を渡す場合、指示された金額の小切手を換金したうえ、右の出金の事実を右の小切手帳の控に基づいて銀行勘定帳に、右の銀行勘定帳に基づいて振替伝票に、右の振替伝票に基づいて元帳にそれぞれ記載していたこと、なお、瀧口と同社経理部長矢野文生、同部事務員大久保紀美枝が相談した結果、経理担当者が瀧口から同人に渡した現金の使途を聞いてこれを振替伝票の綴じ代に記入することとしていたこと、(2)右の銀行勘定帳、振替伝票、元帳には同年四月二二日五〇万円の支払いがなされた旨の記載があるが、これと対応する額面五〇万円の小切手は同年四月二四日に振り出され、同日県信連で換金されており、右の小切手帳の控の日付も同日付になっていること、なお、右の振替伝票の綴じ代には「ニトグリ」との文字が、右の銀行勘定帳の摘要欄、小切手帳中の小切手の控の渡し先欄には「仁都栗」との文字がいずれも大久保により記入されていること、(3)前記の銀行勘定帳の記載は、同年四月二二日付で摘要欄東邦相互、小切手番号四一、引出金額一六六、六一五円に続いて日付欄「〃」で摘要欄桧岡代書、小切手番号四二、引出金額一、二二三、一〇〇円、次に日付欄「〃」で摘要欄仁都栗、小切手番号四三、引出金額五〇〇、〇〇〇円、次に日付欄「〃」で、摘要欄広津産業、小切手番号四四、引出金額一〇〇、〇〇〇円と順次記載されているが、右の摘要欄広津産業の小切手も同月二四日に振り出されていること、(4)矢野はそのころ大久保から瀧口の命令により被告人に渡す金五〇万円を準備する必要があるので小切手の振出し手続をした旨の報告を受け、大和機工の経理事務員橋本恵美子に命じて県信連に赴かせ、右の小切手により現金五〇万円を引き出させたことが認められ、右認定に反する証人瀧口博隆の原審公判廷における供述は措信できない。以上の事実関係によれば、大久保が小切手帳の控に基づいて銀行勘定帳に記載する際、同年四月二四日と記載すべきところを同月二二日の記載に続いて「〃」と誤記し、そのため振替伝票、元帳にも同月二二日と誤って記載されるに至ったものと認められる。また、瀧口は原審及び当審公判廷においても、日時の点は明確ではないが、そのころ大和機工の本社において被告人に対して五〇万円の現金を交付した旨証言していて、日時の点は別として現金授受の事実自体については同人の前記検察官に対する供述調書の内容を維持しており、右の供述調書の内容は具体性に富み、所論のように物的証拠があるなら、そのようなことがあったろうというようなものではなく、十分に信用できるものである。また、矢野も、日時の点は明確でないが、市議会議員の選挙運動期間中の出来事として右(4)の事実を記憶している旨証言しており、その信用性を疑うべき事由は見当らない。以上の諸点を総合すると、被告人が捜査段階以来一貫して右の現金授受を否認していることを考慮しても、瀧口が同年四月二四日大和機工本社において被告人に現金五〇万円を交付したことに疑問を抱く余地はないというべきであり、右の所論は採ることを得ない(なお、所論中には前記振替伝票の綴じ代の記載は、捜査段階に入ってから、大久保が記入した可能性があるという趣旨の部分があるが、これを認めるに足りる証拠はもとより、これを窺わしめる事情も全く存しない。)。

(三)  なお、所論は、「社長の指示で経理担当者が社長に金を渡す場合、最終的な使途がその時点で明確でない場合には『仮払い』の名目で一旦経理処理されるのが当然である。ところが、本件の五〇万円については、これと反対の『仮受内入』として処理されており、不合理である。」という。

そこで検討すると、《証拠省略》によれば、大和機工では同社の金を社長個人に渡す場合仮払金支払い又は仮受金内入れ(瀧口の同社に対する立替金が相当多額に上っていた関係から同人が同社のために立替えていた金の一部を弁済するという趣旨)のいずれかの形式を瀧口の指示により選択して処理しており、本件の場合も同人の指示により仮受金内入れの形式により処理したことが認められるから、なんら不合理な点はなく、右の所論も採ることを得ない。

(四)  更に所論は、「(1)原判決は、被告人の同年四月二四日午前一〇時三〇分前と午前一二時過ぎのアリバイを認め、その間に被告人が大和機工に行き、現金を受け取ることが可能であると認めているが、通常の人間の行動からみると無理である。(2)被告人が、当時選挙資金が潤沢であったのに僅か五〇万円のために、市議会議員の選挙の投票日の三日前という多忙な時期に大和機工に行き、小切手の現金化を待っていたとは考えられない。」という。

そこで検討すると、原判決が詳細に判示しているように、関係証拠によれば、被告人は同年四月二四日の午前一〇時過ぎころか遅くとも午前一〇時三〇分ころから同日の昼ごろまでの間に時間的余裕があり、その間に選挙事務所から大和機工本社に赴き、前に認定したような経過で瀧口から現金五〇万円を受け取ることは時間的に十分可能であると認められ、所論のように通常の人間の行動からみて無理であるということはできない。また、右の当日は被告人が立候補している広島市議会議員選挙の投票日の三日前で被告人が多忙であったことは所論のとおりであるが、右の時期であればこそ、被告人が急遽現金を必要とするというのも十分有り得ることであり、また、右の選挙運動の期間中被告人の選挙資金が潤沢であったとしても、なんらかの必要があって他から現金を入手しなければならない事態が生ずることも十分有り得ることであって、所論のように被告人が現金を受け取るために大和機工に行くなどの行動をすることが考えられないということはできない。右の所論はいずれも採ることを得ない。

(五)  叙上説示したとおりであるから、被告人が原判示第二の日時場所において瀧口から現金五〇万円の交付を受けたことは明らかであって、これを争う所論は採ることを得ない。

二  現金五〇万円授受の趣旨などについて

(一)  所論は、「右の現金授受があったとしても、被告人は原判示のような請託を受けておらず、もとより賄賂性もない。」という。

そこで検討すると《証拠省略》によれば、同公社による小学校建設用地にあてるための大和機工所有の宅地造成地の先行取得及び前記の現金五〇万円授受の経過は原判決の認定判示するとおりであって、要約すると、次の事実が認められる。

(1) 広島市教育委員会は、昭和四六年ころ、同市牛田地区の児童の数が激増してきたため同地区に既存の牛田小学校、牛田新町小学校のほかに小学校(仮称牛田第三小学校)を新設することとし、同四九年には牛田東三丁目所在の土地を同小学校の建設用地として予定し、先行取得することを決定したが、同五〇年三月ころには右土地の所有者の一部が行方不明で買収が困難であることなどから右土地を小学校建設用地とするのは無理であるとの意見が強くなってきたこと、

(2) 被告人は、同年三月ころ田中茂(当時広島市財政局管財部長兼同公社参与)との間で前記の土地を小学校建設用地にあてることが困難になってきたことやほかに適地がないかなどの問題について話し合っていたが、同月初めころ田中に対し、「ええ学校の用地になるような所があるんだが、行ってみんか。」と言って、同人を同市牛田早稲田二丁目所在の大和機工所有の宅地造成地に案内して、「このへんはどうだろう。」と話し、同人は、「教育委員会に話してみましょう。」と返事したこと、

(3) 田中その他の同市財政局管財部職員及び教育委員会事務局職員は、同年三月一五日ころ及び同月一七日ころの二回にわたり前記の小学校建設用地の候補地として大和機工の右造成地を視察し同月一九日の教育委員会内部の企画関係者会議において前記小学校建設用地を右造成地に変更する旨決定されたこと、

(4) 広島市当局は、同年三月二九日ころ瀧口を教育委員会事務局に招き、田中、平田正義(当時同市財政局管財部用地第一課長兼同公社参与)及び教育委員会事務局職員から前記小学校建設用地を右造成地内に確保することの協力を求めたが、瀧口は当時不動産業界が不況下にあったことからこの話に熱意を示し、右用地確保の準備作業を進めるとともに平田に対し右造成地の買収手続を早くするよう依頼したこと、

(5) 被告人は、もともと前記牛田東三丁目の土地に小学校を新設することを地元民に公約していた手前、牛田地区の第三番目の小学校の建設予定地が前記のとおり変更されたことを知っても、なお同地区の第四番目の小学校を前記牛田東三丁目の土地に建設することを考え、同年四月ころ同市教育委員会事務局施設第一課長石友務に対し牛田東三丁目の元の予定地に第四小学校を作ってはどうかと話したこと、しかし、教育委員会側では牛田地区に二つの小学校を新設することは無理との結論に達し、教育次長原一法ら幹部職員が同月一六日広島グランドホテルにおいて被告人と会見し、右の趣旨を伝えたところ、被告人は原に対し、「第三小学学校の方は大丈夫だろうね。」と確め、原が「その方は教育委員会としては、早稲田二丁目の造成地の方に位置の変更を決めている。ただ市長部局との関係もあってはっきり言えないが、現在その方向で事務を進めている。」旨答え、これに対し被告人は、「あれは早くしてくれたまえ。」と言って事務手続を急ぐよう督励したこと、同じころ被告人は大和機工本社を訪れ、瀧口不在のため同社営業部長馬渕光國と会って、同人に対し大和機工の前記造成地が学校建設用地に決まりそうだからその旨を瀧口に伝えるよう頼み、馬渕はそのころ瀧口に右伝言を伝えたこと、

(6) 被告人は、同年四月二四日前記一の(一)で認定したように大和機工本社において瀧口に対し五〇万円の資金援助を求め、瀧口は前述したとおり自社造成地を小学校建設用地として買上げる話が進んでいた折から同公社理事である被告人を助けておけば、先々同公社による前記小学校建設用地の買収に関し尽力してもらえるだろうとの配慮から右の申入れを承諾し、前記一の(一)で認定したような経過で準備した現金五〇万円を被告人に手渡すとともに、被告人に対し、「いろいろ第三小学校のことで心配してもらっているように聞いていますが、契約ができるよう何分よろしくお願いします。」と言ったところ、被告人は、「小学校の問題は地元のことでもあり、私の方もお宅に是非とも協力してもらいたいと思っている。まあ公社の方も準備を進めているので、しばらく待ってほしい。選挙でも済めば具体化すると思う。」と答えたこと、

(7) 同年四月二八日市長部局の企画関係者会議において前記小学校建設用地を前記牛田早稲田二丁目の宅地造成地に確保することが決まり、その後広島市長から同公社理事長に対し右土地の先行取得の依頼があり、同年八月二日開かれた同公社理事会において、仮称牛田第三小学校予定地を牛田東三丁目から牛田早稲田二丁目の前記宅地造成地に変更して先行取得することを内容とする事業計画案が審議可決されたが、被告人は右理事会に出席して賛成の表決をしたこと、この間、被告人は、同年七月初めころ大和機工に瀧口を訪ね、右小学校建設用地の買収の件は着々準備が進んでいるから安心するよう話していること、同公社は大和機工との間で同年八月四日牛田早稲田二丁目の土地三、四三六・九七平方メートル(霞町国家公務員宿舎代替地の代替地)を代金二億五、〇二五万二、七八四円で、次いで同年九月四日牛田早稲田二丁目の土地七、三五〇・五一平方メートル(公園代替地及び仮称牛田第三小学校用地)を代金五億七、七二〇万三、三九八円でそれぞれ買い受ける旨の契約を締結したこと、

以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

以上の事実関係によれば、瀧口は被告人が前記のように五〇万円の金員援助を求めてきた機会に、被告人に対し原判示のような請託をして現金五〇万円を交付し、被告人も右の請託の趣旨を理解して右の現金を受領したものと認められる。

(二)  これに対し所論は、「被告人が前記の小学校建設用地を牛田早稲田に変更する話が進んでいることを知ったのは、市議会議員選挙があった昭和五〇年四月二七日より後であるから、それ以前に前記のような趣旨の賄賂を受け取ることは有り得ない。」という。

なるほど、被告人は、当審公判廷において右の所論にそって前記小学校建設用地が牛田早稲田に変更になるという情報を知ったのは同年五月になってからである旨供述し、また、関係証拠によれば、広島市教育委員会事務局などの関係者の間には右の変更の動きを秘匿しようという考えがあったことが窺われる。しかし、前記の(2)、(5)の各事実によれば、被告人は右の用地変更の動きを前記五〇万円の現金の交付を受ける相当前の時期に知っていたことが明らかであって、右認定に反する被告人の当審公判廷における前記供述は措信できない。

これに関し所論は、「被告人と田中とが牛田早稲田の宅地造成地を見にいったのは、造成地取付道路の幅員拡張のためであって前記(2)の認定のように小学校建設用地をさがすためではなく、右の点についての田中の原審における証言は信用できない。」という。

しかし、田中の右証言によれば、前記(2)で認定したとおり、田中は被告人から小学校建設用地になるような所を見に行こうと誘われて前記の造成地を見にいったことが認められ、田中の右の点についての証言は、被告人から右の土地を見に行こうと誘われた経過、見に行ったときの状況などについて具体的かつ詳細に供述しており、田中と被告人との関係などから考えて田中がことさらに事実を曲げて被告人に不利益な証言をすることは考えられないから、田中の右の証言は十分信用できるものというべきである。

また、所論は、「前記(5)の広島グランドホテルでの会合は、教育委員会側は被告人が前記小学校建設用地の変更の事実を知っているとの前提で話しをしているのに対し、被告人は右の小学校は従前からの予定地である牛田東三丁目の土地に建つとの前提で話しをしていたため、要領を得ないまま終ったもので、原判決が認定したような経過のものではない。」という。

しかし、《証拠省略》によれば、昭和五〇年四月一六日の広島グランドホテルにおける会合の経緯は前記(5)のとおりであって、被告人は、その際、牛田地区の第四番目の小学校を牛田東三丁目の従前からの小学校建設予定地に新設することを求めるとともに、牛田地区の第三番目の小学校を牛田早稲田二丁目の大和機工の造成地に建設することを確認、督励したのに対し、教育委員会側では牛田地区に四個の小学校を作ることは無理であること、同地区の三番目の小学校を牛田早稲田に建設する予定で事務を進めている旨を答えていることが認められ、右の会合の経緯が所論のようなものでないことが明らかである(なお、被告人は、原審及び当審公判廷において、広島グランドホテルでの右会合の際、教育委員会側から、牛田東三丁目に小学校を建設することは無理で他に用地を求めているとの説明があった旨供述しており、右の供述からみても、小学校建設用地変更の動きを前記五〇万円交付当時知らなかったとする所論は不合理である。)。

以上のとおりであるから、右の所論はいずれも採ることを得ない。

(三)  また、所論は、「瀧口は、捜査の初めの段階においては、現金五〇万円交付の趣旨について請託贈賄にあたる供述をしていなかったのに、後になって、これを認める内容の調書が作成されており、右のような内容の同人の検察官に対する前記の各供述調書はいずれも信用できない。」という。

しかし、関係証拠によれば、瀧口の右の点についての自供の経過は原判決が認定するとおりであって、同人は始め右の趣旨、請託の事実を認めていなかったが、捜査官の情理を尽くした説得もあって昭和五二年七月中旬ころから右の点についても自供を始め、以後右の自供を維持し、同年九月五日保釈出所後もこれを維持しており、その供述内容も具体的で迫真性に富んでいることなどを考慮すると十分信用できるものというべきであって、右の所論も採ることを得ない。

(四)  叙上説示したとおりであるから、原判示第二の現金五〇万円の請託及び供与の趣旨は原判示のとおりであって、これを争う所論は採ることを得ない。

第三結論

以上第一及び第二のとおりであるから、原判決が原判示の各事実について被告人に受託収賄罪の成立を認めたことに誤りはない。原判決には所論の事実誤認がなく、論旨は理由がない。

よって、刑事訴訟法三九六条に則り本件控訴を棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 竹村壽 裁判官 竹重誠夫 裁判官堀内信明は転補のため署名押印できない。裁判長裁判官 竹村壽)

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